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哲学を遣って居ます。私に御用の方はお気軽にコメントの記入に由ってご連絡下さい。トラックバックも歓迎致します。


by fishybusiness
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「キレる」とは何か

所謂「キレる」と云うのは突如として怒りを爆発させることを云うのだろう。
昔は「切れる」と云うのが、頭脳明晰である事を示す一種の褒め言葉であったのだが、今はポジティブな意味は微塵も感じられない。
物量に因る言葉の侵略と呼ぶべき事例ではないだろうか。

さて、現代の意味のキレる事とキレない事を別つものは何かと考えると、繊細さが分水嶺ではないかと思う。
つまり、有り体に言って、キレる人と云うのは怒りの表現が一つしか無いのではないだろうか。
それは恰もコンピューターの二進法の様に、怒っているか怒っていないか、どちらかしか無いような人間が怒った時に、「キレた」と言われるのではないだろうか。

つい昨日のことだが、私も怒りを覚えることがあった。
駅まで歩いている道すがら、不動産屋の前を通った。
そこで不動産業者は歩道に半分営業者を乗り上げ、其れに乗せるのであろうお客二人と共に、歩道を完全に塞いで居たのだ。
此れでは通れないと思った私は、その業者に向かって「通っていいですか?」と不快感を表しつつ聞いたのだ。
そうすると彼は「どうぞ」と、私以上の不快感を示しながら道を空けた。

赦されるなら私はいい歳をしたその不動産業者を蹴っ飛ばしてやりたいし、怒鳴りつけてやりたかった。
しかし私はそれをしなかった。
何故だろうか。
それは誰の利益にも為らないと、自明であったからである。
確かに怒りは覚えたが、怒りで計算が働かなくなるほどではなかったのだろう。
そして私の感じた怒りは、「通っていいですか」という、やや慇懃無礼な言葉にしっかりと込めてやったのだ。
この場合はこれが適切であったと今でも思える。

事情が変われば私はまた違った怒りの表現をするのだろう。
暴力に訴えることは稀だと思うが、時には大声を上げるくらいのことはする。
私は怒りを表現する方法を複数知っているし、感受に関しても表現に関しても、ある程度繊細であると思う。
感じる怒りのレベルを10や20は持っていて、それぞれ異なった表現ができたなら、彼は「キレる」人とは言われないだろう。

問題は後天的な繊細さの素養であると私は思う。
by fishybusiness | 2007-01-28 05:57 | 社会