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幸福量の増加より不幸量の減少を

「衣食足りて礼節を知る」と云う言葉がある。
もちろん其の通りだが、幸福についても礼節と同じように思う。
とりあえず明日食べるものの心配をせずに居れるようになって、はじめて人間は己の幸不幸に思い至るのではないだろうか。

功利主義の主な学説は幸福量の計算に拠って発展してきた。
総量説や選考充足説など様々だが、人間の幸福の尺度と云う意味では一致している。
しかし、その学説が複雑化してきたのは、人間が己の幸福を見出し難くなって居るからではないだろうか。
少なくとも、こうしてインターネットを利用できる立場の我々は十分に幸福であると言える。

では人間は普遍的に幸福になったのだろうか。
残念だが否と言う外無いだろう。
世界には未だ明日の生存が危うい人間が何百万と言わず存在している。
それは政治や資本の力で解決可能な不幸であると思われる。
解決を妨げるのは、国益や株主利益といった閉塞的な価値観である。

しかし、国や大企業がその価値観を転換することは非常に難しい。
歴史的に考えて、相当に不幸な出来事が起こらない限りイノベーションも起こり得ない。
今日平穏に暮せている人間は、ドラスティックな変化を恐れるものだ。
ではやはり希望は無いのだろうか。

私達は、こうして生存の心配をすることなく、人類の幸福に思いを馳せる事が出来る程度には幸福である。
だとすれば、世界のどこかに居る誰かの、圧倒的な不幸を少しだけ受け容れる事をするべきではないだろうか。
この世界には、食糧生産や治水が思うように運ばない土地が多くある。
しかし、そのような土地にも人間は生存している。
ならば、恵まれた土地に住む我々は、恵まれない土地に住む誰かの不幸を、ほんの少し肩代わりするべきではないだろうか。
幸福の増加より不幸の減少、或いは幸福の独占でなく不幸の分有が、人類全体の幸福に寄与する発想ではないだろうか。

具体的な行動を挙げるのは難しいが、フェアトレードなどはある程度有効な発想であると思われる。
他にも先進国の移民受け入れの積極化や、人材援助の拡大などが考えられる。

そろそろ進歩主義から卒業できないか。
偏狭なナショナリズムよりも、真のグローバリズムで発想する訓練を重ねなければならないだろう。
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by fishybusiness | 2007-07-08 04:19 | 雑文