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by fishybusiness
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私たちは何を共有できるのか

本当はこのことについては書きたくなかった。
著名な作家の文章に対して、私如きが批評をするなど僭越であると考えている。
しかし、同じ文章を読んだ多くの人が、書き手の意図を酌んでいないと感じられた。
私が抱いた感想と、全く別な方向に感じる読者が多すぎるように思った。
それはどうしてなのだろうか。
ここ数日考え続けていたことを、以下に書き記す。

『坂東眞砂子女史のエッセイ「子猫殺し」について』

この文章は論理的に破綻しているという人がいる。
確かに難解で、誤解を招きやすい構成ではあろう。
しかし、それもレトリックではないかと思える。
高名な作家である彼女が、論理的な過ちを犯したとは思い難い。
おそらく混乱しているのは、彼女ではなく我々の社会なのだ。
現代社会こそ論理的整合性を欠いているというメタファーではなかったのか。

だからこそ、読み手はもっと素直になるべきだ。
そして感情に流されることなく、冷静に要旨を読むべきだ。
坂東女史は何故子猫を殺すのか。
これははっきり書かれている。地域社会への責任を果たすためだと。
猫が無秩序に繁殖しては人間の生活環境を侵害する、だから増えすぎないように殺すのだと。
実に論理的な回答である。
これを好しとしない人からは猛烈な抗議が寄せられる。
他に選択肢があるのに、どうしてそちらを選ばないのかと。
つまり去勢/不妊手術を示唆している。
そしてなぜ手術をしないかという問いにも、坂東女史は明確な回答をしている。
彼女は猫に不妊手術をすることが納得ができないと書いている。

〈人が他の生き物の「生」に関して、正しいことなぞできるはずはない。〉

〈〉内は引用である。
坂東女史がかぎカッコつきで「生」と書いたものは、本能とか性(さが)とかいった意味を含んでいるだろう。
そして、どうして彼女以外の他人が、彼女の決定を批判できるのか。
他の生き物を尊重する態度が、どうして生命を軽視することになるだろうか。

命は等しく尊いものであると私は考えている。
しかし生きていればそれだけで尊い訳ではない。
命は自然に与えられるものであり、自然に奪われるものである。
その命のかたちを、人間の都合によって歪めてしまってもいいのだろうか。
それならいっそ殺したほうが、ある意味で命を尊ぶことにはならないだろうか。

私たちは多かれ少なかれ他の命を奪って生きている。
他の生命を喰らって生き延びている。
しかし、そのことに伴うはずの他の生命の死は、巧妙に隠されている。

私たちは何をしてはいけないのだろうか。
どれほどの人と、それを共有できるのだろうか。
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by fishybusiness | 2006-08-30 01:46 | 社会